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ワイン不完全ガイド「シェルブロ」

戦わないワイン商 (株)Sheldlake代表村山による、ワインとかなんかそんな感じのブログ

コイケヤ『ポテトチップス みかん味』 テイスティングレヴュー

「冒険」とは何だろう

 

そんなことを、ふと考えた。

 

冒険。それは、古来より少年誌の漫画やアニメにおいて必須要素の一つ。あなたが少年・少女だった時代には、特によく聞いたフレーズなのではないだろうか。 あらゆるアニメキャラがブラウン管越しに訴えてきただろう。はたまた、様々なアミューズメント施設のスタッフやキャラたちも、口を揃えて、ハキハキと、元気よく、快活に、こう提案してきたのではないか。

 

さぁ、勇気を胸に冒険の旅に出よう!」「人生は冒険だ!」 と。

 

そして、いきなり話を逸らして恐縮だが、「ブラウン管」なんて言葉、今日の若人には一切通じないんだという事実にも同時に気付いた。自分が一気に老けた気がして、肩こりを自覚したが気のせいだろう。「ブラウン管」というと、「マリオの土管」みたいなものを想起するかもしれないが(私だけだろうか)、全然違う。ブラウン管の中にはコインもなければクリボーもノコノコもいない。そう考えれば、マリオは冒険していたのだなと、今更ながらに思う。

無理矢理話を戻した。「さぁ、冒険の旅に出よう!」である。以上のような経験、もしくはイメージは、ほぼ万人が持つものではないか。

 

しかし、大人になってみるとどうだろう。「冒険」をすることは、基本的には悪となる。 悪とまでいわずとも、失笑や憐憫の対象だ。

 

「大人として」「社会人として」「親として」、「冒険」なんてあり得ない、社会をわかっていない、愚か者のすることだ。そんな通念がある。これに特に異論はない。それぞれに「常識」というものがあるし、好きに考え生きれば良い。

私個人の観測だが、そんな通念からの支配係数が高い人ほど、それとは逆に、SNSなどで「冒険」を叫ぶ傾向にあるように感じる。「新規プロジェクトは冒険の連続!」とか「この会社に入って毎日が冒険のよう!」とか「ちょっと冒険してこんなジャケット買っちゃいました!」などなど、枚挙すれば切りがない。

 

そんなものは冒険でもなんでもない、と思う。 上述した「冒険」とは、まさに生死に関わる危険や決断の連続を言うものだ。 ちなみに、かく言う私も、最近した冒険といえば、よく行く定食屋さんでいつも肉野菜炒め定食を注文するのに、ふと冒険したくなってレバニラ炒め定食にしてみた程度である。

 

 

そんなわけで、ようやく本第に入る。この行に来るまで、おそらく92%がページから離脱していると思うが、安心してほしい。まだ全体の3分の1もいってない。

 

 

子供の頃は「冒険をしろ」と言われ、大人になると「冒険なんて愚かしい」と言われる。

望む望まぬに関わらず、いつの間にか大人になり、いつの間にか私たちは「冒険」を排除した。

 

そんな、本当の「冒険」を忘れてしまった日本社会に生きる私は、しかしこの夏、一つの「冒険」に出会った。

コレである。

 

 

コイケヤ『ポテトチップス みかん味

 

冒頭からここまで、なにを長々と論じていたのか。恐縮至極だが、それはコレに触れたかったから。たったそれだけなのだが、さっきから間断なく襲われているこの胃もたれと頭痛を忘れたいがために、今キーボードを必死に叩いている。「必死」の意味はご存知だろうか。「必ず死ぬ」のである。

 

さて、この季節、ミカンはあらゆるものにパイルダーオンされる。アイスやシャーベットなどは好例だろう。暑い盛りに、冷たい氷菓と相まって、爽やかな風味をもたらしてくれる(ちなみに、パイルダーオンという言葉が何なのか知らずに使用したが、検索したところ『マジンガーZ』に端を発するらしい)。

その他にも、グミ、ガム、ゼリー等デザート類にもパイルダーオンされ、好みはあれど、それぞれの既成商品に新風をパイルダーオンすると同時に、主力商品の売り上げ繋がるブースターとしてもパイルダーオンしている。

 

ところが だ。

 

▲温度計と並べてみると、儚さがぐっと昂る

 

ポテチにミカン である。

ポテチとミカン ではない。

 

「来たな」と思った。定期的にやってくる、食品業界大手からの挑戦状である。おふざけと言い換えても良い。

今一度、考えてみて欲しい。ポテチなのだ。元はジャガイモとはいえ、一枚一枚はほぼ油の塊、ポテチだ。そこに、ミカンだ。よりにもよって。事もあろうに。

単純に考えて、「油にミカン果汁を加えたもの」、あなたはそれを飲めるだろうか、いや飲めないだろう(これを反語という)。

なのに、どうだろう、このパッケージは。

 

 

元気溌剌としたフォント

夏を感じさせる色使い

踊り出すようなデザイン

 

セブ◯イレブ◯の店員が書いたのであろうポップには、「☆期間限定☆」の文字も踊っていた。「よくそんなテンションでこのポップ書けるな」と素直に感心したのを覚えている。「期間限定」もなにも、ミカンの旬とか関係ないのではないだろうか、製造工程的に。

次々と会計を済まし店を出る客たちを尻目に、私はこの商品を手に取って数分間立ち尽くした。結果、買った。この時点で大いに負けた感があるが、買った。

 

私は、「冒険」に参加したかったのかもしれない。コイケヤの冒険に。あの頃の、何もかも純粋だった少年に、私は戻りたかったのかもしれない。

 

 

開幕の一撃に備え、恐る恐る、開封する。

私も弱小ながらワイン輸入会社の端くれだ。香りには敏感な感性をつぎ込もうとする。「油の香りに絡み合うミカンの香り」。想像するだけで、おぞましいではないか。 ところが、ここで『ポテトチップス みかん味』、スルー。特に、際立った香りはしない。単に、ポテチ特有の油の香りがするのみだ。

経験上、このパターンは危険である。一度安心させ、防御を緩めさせてから特大の一撃を放つという定石を、おふざけ食品業界は取りがちだからだ。

 

 

一枚摘み取り、外観を観察する。念入りに、丹念に、丁寧に、丁重に。「まさかミカンのつぶつぶ果実とか練り込んだりしてないだろうな」という疑念が頭をもたげたからである。想像しただけで、胃袋を裏返して洗いたくなってきた。

「清水の舞台から飛び降りる」というフレーズが頭に浮かんだが、清水の舞台が全く思い出せないので“つもり”になれないのが歯がゆい。「ルミネの屋上」とかの方が、まだ想像可能だ。

 

ルミネの屋上から飛び降りるつもりで、1枚、パリッといく。

かじった瞬間、おや?と思う。特に、何もおかしな感じはない。お菓子だけに。やかましいわ。

なんだろう、単に味の薄いポテチといった感じ。恐る恐る、咀嚼を開始する。全然美味しくはないが、もっとシリアスな味を想像していただけに、なんだ、肩すかsi……

 

 

 

来 た

 

 

ミカンが やって 参りました

 

 

 

私の口から、思わず「ミ"ィヤ"ァイ"ニ"ィィ」という宇宙語のような音が出た。

やはりそうだ。遅効性なのだ、こういった手合いは。

舌がミカンの酸味をキャッチした瞬間、それはやってきた。いや、「ミカンの酸味」と表現することは誤解を生むだろう。だって、「ミカン」じゃないから。圧倒的に、「ミカン」じゃないから。

「酸味」といっても、決して“酸っぱい”のではない。あくまで、優しい酸味なのだ。それが、油の香りと香ばしさに、“ね〜っっとり”と絡み付いてくる。

 

ワインの世界において、テイスティングの際の「酸味」の表現には「フレッシュな」「爽やかな」「溌剌とした」「収斂性のある」等があるが、私はここで新たな「酸味」の表現を提唱したい。「舌を噛み切りたくなる」。

 

▲軍手と並べてみると、無常観がぐっと昂る

 

まず、ポテチ特有の「塩味」と「油の香り」。この初撃(テイスティング用語で「アタック」という)、ミカンのためを思ってか、控えめな塩味なのだ。そんなところで優しさ出さないでほしい。

この時点では「あんまり美味しくないポテチ」といった感想であるが、本命の「ミカン」が、一足遅れて“じわ”っとやって来る。「ごめんごめん〜待った〜?」みたいに。全然待ってない。この待ち合わせ、忘れていてほしかった。

 

▲ワイングラスと並べてみると、アンビヴァレント感に胸が苦しくなる

 

繰り返しになるが、吹けば原子レベルに分解して大気圏にはじけて混ざる弱小とはいえ、私も一ワイン輸入会社の代表だ。しっかりと、この無類の味わいを舌で掴み取り、言語に変換し伝達しなければならない。だから、気を取り直し、というか気を確かに持って、一枚、また一枚と、口へ運ぶ。断頭台へ、一歩、また一歩、といった心境である。

その度に広がる、油の香り、香ばしさ、それに見事に混ざり合う「ミカン」。少しずつ、私の口内が蹂躙されていく。

 

しかし、どう表現すれば、この『ポテトチップス みかん味』の味を皆様に、そして後世に伝えられるのだろう。

最も適切な表現を試みるならば、「甘酢漬けにしたトンカツの衣」。これを一枚、また一枚と咀嚼している感覚。

いかがだろうか、私が今陥っている口内環境を少しでも想像してもらえれば幸いである。

 

▲カエルの置物と並べてみると、胃袋を裏返してじゃぶじゃぶ洗いたい衝動が昂る

 

いつか、食べている内にこの美味しさが分かってくるのではないか

いつか、ブレイクスルーの瞬間が到来するのではないか

そうだ、私は少年。この冒険を楽しもうじゃないか

 

そう信じて、というか自分を鼓舞して、10枚程食べ進めたときであろうか。あることに私は気付いた。

 

安定の、胃もたれである。

 

なんということだろう。さすがは大手コイケヤ。自分を美味しく見せ、獲物自らその体中に取込んでもらい、中から、ゆっくりと、宿主を破壊していく。「いっそ最初から1枚目でダウンするような味にしてくれたら」と心から思うが、もう後の祭りである。この胃もたれは、不可逆なのだ。

と、そうこうしているうちに、頭痛もしてきた。頭の中では、SEX MACHINEGUNSの『みかんのうた』が大音量で流れている。

 

こうして刻々と部位破壊が進み、私はいつかミカンになるだろう。そうして、また新たな犠牲者もとい消費者の体内に取込まれるべく、1枚1枚スライスされ、出荷されていくのだろう。

 

朦朧とする意識の中で、私はそんな未来を垣間見た気がする。

 

 

こうして、私の「冒険」は幕を閉じた。

 

 

 

 

……

 

 

 

かの与謝野晶子は、「君死にたまふなかれ」と詠んだ。

私、村山佳徳は、「君死にたまへ」と心の中で詠んだ。

 

 

 

誤解が生じてはいけないので断っておくが、私は「マズい」と言っているのでは決してない。

ただ、「ポテトチップスってなんだろう」「ミカンってなんだっけ」「なぜ神はこれの創造を許したのだろう」「なんでこれ買ったんだろう」と、むせび泣いてはいることを、ここにご報告する。

 

 

まだ幼かったあの頃、我々は「冒険」に憧れた。

近所の公園は無限のフィールド。なんでも揃う秘密基地だってある。青空駐車場はいつだって決戦の場だ。近所の怖いおじさんは悪のエージェント。拾ってきた木の枝は聖剣になった。ちょっとした林に入れば、そこはもう冒険の始まりだった。

そう、「冒険」は子供だった我々の頭の中に、無限に広がっていた。

 

憧れていた“オトナ”になり、気がついた時にはもう、無限のフィールドは有限になっていた。小さな小さな世界に、閉じ込められていた。いや、閉じ込めたのだ、自分で自分を。

この『ポテトチップス みかん味』は、そのことを私に気付かせてくれた。

 

ポテチにミカン味をつけて、何が悪いというのだろう。別々じゃダメだったのか? そんなの無理だ、社会人だろ、大人だろ。そんな通念という誰かが用意したボーダーを張ってはいないだろうか。

 

我々の頭の中は、本来無限なのだ。

 

「冒険」を思い出したい方は、是非、試してみてほしい。

 

 

私は 二度と 食べない

 

 

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株式会社シェルドレイク 代表 ムラヤマ

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